空飛ぶ用水路 【段子川をブラタモリ 04】

カテゴリー │段子川をブラタモリ

前回、


(▼PCでクリックすると大きくなりすぎます、ごめんなさい)
小豆餅の藤屋さんの前で

公園から出てきてる

旧・第三連隊の排水路と

段子川が

合流してたんですが


実はそこは、段子川の起点だったんです。


でも、なんだい?
こっから段子川なら、この暗渠はなんだい?
八っつぁん。


‥はぁどう探したらいいだいねぇ。。


結局、「すみません、道をお尋ねしたいんですが‥」と言いながら
川のことを尋ねつつ、探し歩くことにしました。
何故か、iPhoneのマップで川を探す、ということは全く思い浮かばなかったんです。
アホな未開人みたいですが、却って探検気分は盛り上がったのでした。(^^;;
iPhoneはただ、現在位置の確認と記録だけに使いました。

住吉バイパスを北上していくと、むむむ。
昔っからありそうな、なんにも商品を置いてなくて留守なんだけど人の気配が濃いお店が‥!

タイミングよく戻ってこられた、
ここのご主人のUさんは、つきたてのお餅みたいなニッコニコ笑顔で、
頭の回転の超早い方。伺って大正解!
「もう少し北に行くと川あるよ」と言われ、元気を取り戻して北上。


あったー。川と再会!



そして、そのまま東を向くと、こんな畑の中のずーーんと真っ直ぐな道。。
浜松の人ならわかってくれるかなぁ、
THE・三方原台地 って感もりもり!



iPadの地図で改めて見ると、ここです。
だいぶ長く暗渠になってますね。
住吉バイパスをつくるときに暗渠にしたんでしょうか。


以前、Uさんのお友達が「段子川をさかのぼろう!」というテーマでTV番組を作ったとき、
この暗渠のなかを歩いたら(すげー)、ネズミだらけだったんですって。


そしてナント、浜松人も知らない衝撃の事実が!

Uさんによりますと、
「東名の上を川が流れてるだよ。
高速の上を川が横切ってるって日本でもここくらいじゃないの?」

住吉バイパスが東名を渡るところのすぐ西の道に沿って、
はい、用水路が東名の上を流れていました。



東名を渡る用水路、東名の南側ではこういう感じ。
コンクリの水路の底が白っぽく見えています。
きれいな水です。



東名の上を、フェンスに囲まれて、こんな風に用水路が流れています。
あっけないというか、さりげないというか。。
東名の北側から撮りました。



Yahoo地図の航空写真だと、くっきり見えます。


グーグルから見る場合は「浜松 あさの葉屋」でググって、
検索結果画面の地図をクリックしていただくと、「あさの葉屋」さんのすぐ南です。


東名を渡って上流をのぞむ。ほんと、水はきれいです。


右手の、白い壁に茶色い看板のお店が、
有名な「あさの葉屋」さん。
出来るかぎり放射能汚染されてない食材を‥、というお志の、貴重なお店です。


次回は、「段子川をブラタモリ」シリーズ、
ザッ・ザッ と吸い込まれていく最終回です。


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「浜松土地改良区」に問い合わせてみましたら、
浜松にはもうひとつ、東名高速道路の上を横切る農業用水があるんですって。
和地町にある、庄内水路橋。
東京方面から、花川を渡って3本目の細い橋です。
Yahoo地図の航空写真で見てみると、周囲は畑とビニールハウスがずらり。
なるほど納得。。






 

第一航測連隊があつた 【段子川をブラタモリ 03】

カテゴリー │段子川をブラタモリ

泉1丁目の湧水から段子川を遡ると、姫街道に出ました。
航空自衛隊浜松基地の南東の角です。

▲PCでクリックすると大きくなりすぎます、ごめんなさい

姫街道の東側に、伴走するように走っている道路は、通称「電車道」。
昭和39年まで、遠州鉄道・奥山線が走っていて、
このあたりには「小豆餅」という駅がありました。



小豆餅、とは、そういう地名なのです。 詳しくはこちら。
奥山線小豆餅駅については、こちらのサイト
地図の右に3つ並んでいるボタンのうち、(1922年)と(1962年)をクリックしてください。


さて、その電車道から、下流をふり返る。
「かみだんずばし」ですって。
うん、ちゃんと段子川だぞ。



上段子橋から上流をのぞむ。


後日、晴れた日の様子。
クリックすると大きくなります



住宅地や公園に翻弄されつつ、見当をつけて川をたどっていったら‥、


ありゃ、こんなに細くなっちゃった。


水はきれいです。



そして、水のみなもとを目指し、
4車線の通りを渡ってみたら、水路がない!
なんか、いいかんじの小さな緑地帯になってる??


パニクって緑地帯の写真を撮るのも忘れ、
4車線の通りを横切り、さっきの水路を目指すと、がーん。
暗渠になってました。。



さっき「細くなっちゃった」って写真を撮った時に、
水路ノ上流ヲ見レバ、ワカルコトダッタ。。。
(その写真の上の奥に、緑地帯が少し写っています。)


これ。ここから暗渠です。
PCのグーグルマップで見ると、シダックスの西側の、
町名番地の「6」という数字のあるあたりです。
グーグルマップではこの水路をかなり太く書いてあるけど、それはまちがい。



さっきの細い水路のところに戻り、
長ぁく住んでそうなおじいさんが通りかかったので聞いてみたら、
この細い水路は、もと軍隊の排水路なんだそうです。


排水路といっても、今も水は少し流れているので、
湧水がどこかにあって、もともと小川だったんでしょうね。


おじいさん曰く
「『藤屋』ってそば屋んとこまでは軍隊の排水路。
藤屋の前で排水路が段子川に入るだよ」と。


藤屋の北側の、「小豆餅子供の遊び場」という公園に、
こんな立札がありました。



「旧陸軍航空通信隊第130部隊」。
旧陸軍の、航空通信隊なんだ。
調べてみましたら、旧日本軍って、「空軍」はなくて、
航空は陸軍の一部だったんですね。知らなかった!


こちらのサイトによりますと
『小豆餅には、第一航測連隊という部隊が一九四二年に置かれました。
この部隊は方向探知機や対空無線機を使って
作戦の支援や航空機の誘導をする航測手の基本教育をおこないました。
空襲が激しくなった四五年の七月には滋賀県の日野町に疎開しました。
アジア太平洋での戦争の拡大にともない、
この基地建設のために土地の強制的な収用がおこなわれました。
連隊の桜並木が残っています。』



で、おじいさんの言うとおり、「藤屋」さんの前で、
もと軍隊の排水路が、段子川に合流していました。




美しくない写真で申し訳ないんですが、
Y字になってるんですよね。
手前が旧連隊の排水路、
左手のコンクリの暗渠から流れてくるのが段子川。



で、段子川、ここから上流は暗渠になっちゃうんです。
どう探したものか‥!


浜松人も知らないオドロキの次回へつづく。

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土地を強制的に収用してまでつくられた第130連隊って、
どのくらいの大きさだったんでしょう?

こちらのサイトによると「裏門が二つあった」そうです。
北の裏門は見当がつくのですが、
西側にあったとされる裏門の位置は、私はわかりかねます。
東西に走っている最も太い道路のところではないかなぁ、と想像します。
そして、東の端は、おそらく現在の住吉バイパスあたりではないかと。。

そうであれば、南北約1Km、東西約500~600mくらいの大きさですね。






 

川を慕いて泉の坂を 【段子川をブラタモリ 02】

カテゴリー │段子川をブラタモリ

前回ご紹介した、泉1丁目の湧水。

▲PCでクリックすると大きくなりすぎます、ごめんなさい

その上流側の、
コンクリートの壁面も真新しい、
人工物だけのみごとな新興住宅地っぷり(ごめんなさい)に、
思わず、足をのばしてみました。




水はきれいです。この鳥をたびたび見かけました。
セキレイかな?知らなくてお恥ずかしい。
(ご存じの方、教えてください。)



湧水から5分ほど歩くと、川は蛇行していて、こんな段差が。
段差の下では水が泡立っていて、生活排水が混じっているのかな、
と思いました。



2分ほど歩くと、また橋が。
川辺のお宅から、秋祭りの準備なのか、横笛の音が。
と~っても上手だった!



「◎◎荘」なんて名前のなつかし~い感じのアパートがあったり、
昭和40~50年代に新興住宅地だったのだろう、という感じの
気さくな家並みになってきました。

申し訳ないけれど、ここでは、川が快い、とは言えない印象‥。
私が子どもだった昭和40~50年代の頃は、
こんな感じの、川底に藻の生えている川をよく見ました。

でも、落ち着いて見てみれば、
水の濁りはなく、川幅そのものも親しみやすい。
匂いがするわけでもない。


川を見たときの快さって、なにが決め手になるんでしょうね。


またさらに、川を慕いて北上。
地名が、湧水のあたりは泉1丁目だったのが、
2丁目、ここでは3丁目と変化してきました。


段子川は蛇行を繰り返していて、
道も、川と交差したり離れたりしながら、ゆるやかな坂になっています。


どんな橋だったんだろね。
手前のお宅と、向う側のお宅の間が川です。



佐鳴湖北岸の新川べりの海抜は、2.1m。
だいぶ上がってきました。

  【追記】
  この「みやうらばし」のそばには、「お池」と呼ばれ、
  段子川の水源となっていた大きな池があったそうです。
  (歴史・文化) お池跡 / 浜松市
  段子川・権現谷川・中途川 / 水神の森を守る会
  8月末に私が訪れたときには、
  「お池跡」の愛称標識は、やはり倒れていたようで
  草に埋もれてわかりませんでした。
(11/4)


この「みやうらばし」から上流をのぞむ。

この正面奥のフェンスからまた上流をのぞんだのが、つぎの写真。




学生時代にカヌーで下った川や渓谷、
一度訪れた仙台や盛岡の市街地の川、
社会人になって東京や大阪の都会や郊外で見た川などを思い出しながら、
ふと思った。


汚れた川を見るだけで、心もダメージを受ける。
住んでいたら、尚更だろう。
それにも慣れっこになってしまうのかもしれないけど。
慣れて、逞しく生きていくのかも知れないけど。

私が汚れた川のそばに住んでいたら、その川に愛着をもてるかな。
「きれいになったらいいな」という夢すら持てずに、
「どうせ無理だし」と、はなから諦めて萎えるだろう。
どうしたら「きれいにしたい」って希望を持てるのだろう。    ‥*






数十メートル上流で、段子川は姫街道にぶちあたります。
航空自衛隊浜松基地の、南東の角です。
下の地図の、緑の矢印の交差点です。



大きな地図で見る


ブラタモリ感を増す次回へつづきます。


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‥*
だから、
佐鳴湖が2009年に、全国の水質のCODワーストを脱出したことは、
すごいことだと改めて思う。

ツイッターを「佐鳴湖」で検索して見ていると、
自嘲したい気分の時に
佐鳴湖の以前の水質のことを引き合いに出しているつぶやきを、
たまに見かける。

それを見るたびに、
佐鳴湖が全国ワーストと言われたとき、
佐鳴湖に興味のないつもりの人たちも
実は心を痛めたんだ‥と感じる。

ある方は
「日本一汚いというレッテルをはられた数年間、
地元の人たちは嘲笑しながらも実は心が傷ついたんだと思います。」と。

佐鳴湖がきれいになる、ということは、
決して、環境問題が改善する、というだけのことではなく、
浜松に住んでいる人たちの心を
清らかに支えるものが現れる ということ。
改めて、精魂こめてご尽力くださった方々に
心より御礼を申し上げます。








 

泉1丁目の湧水 【段子川をブラタモリ 01】

カテゴリー │段子川をブラタモリ

8/10-11、佐鳴湖とその周辺を視察され講演をしてくださった
東京大学の山室真澄先生のブログで、
佐鳴湖に流れ込んでいく湧水のひとつが
住宅地に取り囲まれている、と知って驚きました。
佐鳴湖 (3) / Limnology - 水から環境を考える 


その場所を教えて頂き、昨日行ってみました。
浜松リハビリテーション病院(和合北1丁目)の西、
段子川沿いに200Mほど北上したところです。



案内の看板。


「段子川河川敷にあり、泉地区最大の湧水である。
この付近一帯は水田で各所に水が湧いていたが、
宅地造成のときこの湧水に困り、
東方の山際と中央部の二か所から、
砂◎で水道(みずみち)を作りここに誘導してある。
水量は豊富で年中変わらず、水温も変わらない。
近在の住民は洗濯などに利用している。」



湧水が豊富で、宅地造成のときに「困った」と。(^^;
地名も「泉」ですもんね。
湧水が豊富な水田区域だったんですね。知らなかった。


泉地区の北は、三方原台地ですね。
ご存じのとおり、三方原台地は昔から水利に困窮したところで、
農業用水を秋葉ダムから取水し送水する「三方原用水」が
昭和33年(1958)の事業着手から、平成2年(1990)の事業完了まで、
実に32年の年月を費やして完成されました。

この用水路の完成により、三方原地域の農業用水はやっと、
安定的に供給されるようになり、
県を代表する農業地帯へと変化していったそうです。

三方原台地のことはいちおう知っていましたが、
そのすぐ南の泉地区が、湧水豊富な水田区域だったとは。。


湧水はフェンスで囲まれ、こんなふうに湧き出ていました。




勢いのいいこと。
冷たくて気持ちいい。
少し飲んでみると、なんとなく鉱物を含んだような
(と言えばいいのかな?)味でした。


湧水は、こんなふうに段子川に流れ落ちていました。



流れ落ちる湧水を真上から。



湧水が流れ込んだ段子川は、こんな風に下流へ。
川の水はきれいでした。
曇りだったので写真が暗くてごめんなさい。



湧水のすぐ上手から、上流をのぞむ。
ザ・新興住宅地。



湧水の水源は‥、どこなんだろう。
いつまで保たれるんだろう。


ちょっと上流に足をのばしてみるつもりが、
なかなか壮大な(?)旅になってしまったのでした。
つづく。


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【追記】
8/17-21のツイッターでも少しご紹介しましたが、
涼やかに衝撃的だった山室真澄先生の講演の様子はこちら。
ヨシは本当に水浄化にいいか - 環境教育と行政の根底を問う / 30年目の報告


同じ方が山室先生の視察同行記1~4を書いてくださってます。
こちらからスタート。
佐鳴湖周辺視察の同行取材記 1 - 村櫛海藻海草堆肥化農場の現場 / 30年目の報告





 

椎ノ木谷と佐鳴湖

カテゴリー │空・鳥・水 

佐鳴湖から流れ出た水は浜名湖に行きますが、
浜名湖は遠州灘とつながっていて、
海水と淡水が混じっている「汽水湖」ですね。




江戸時代・明応7年(1498年)に起きた大地震(明応地震)によって
今切口ができ、それ以来「汽水湖」になったそうです。

だから、佐鳴湖も潮の満ち引きの影響をうけているし、
佐鳴湖も汽水湖なのだそうです。
時々、ちょっと潮のにおいがしますもんね。

佐鳴湖クリーン作戦に参加した折に耳にしたのですが、
漕艇場のそばで、なんと、エイが釣れたんですって。
アカエイだそうです。

佐鳴湖に入り込む塩水が、以前よりも増えているらしい、
と伺いました。

なので、佐鳴湖に流れ込んでいる「新川」の水源である
「椎ノ木谷」(しいのきや) がしっかりと守られていることの重要さが
さらに増していると思いました。


椎ノ木谷はここです。

椎ノ木谷保全の会オフィシャルサイトよりお借りしました


椎ノ木谷は、何年か前、埋め立ててグラウンドにする計画があったのだそうです。
でも、浜松で、子どもが泳いで遊べる川は、
都田川と椎ノ木谷くらいしか残っていない。

地元の小学校のPTAの方々が
「なんとか椎ノ木谷をこのまま子供たちに残そう!」
と始めた署名運動に多くの署名や賛同が集まったことに応えて、
グラウンド化の計画はなくなったと伺いました。

その後、浜松市は椎ノ木谷を緑地として保全することを決定し、
平成17年には、県下で初の「特別緑地保全地区」に指定されました。

現在は「椎ノ木谷保全の会」の皆さんが、丁寧な活動をしてくださっています。
椎ノ木谷保全の会 オフィシャルサイト

こちらの記事もわかりやすくて楽しいです。
椎ノ木谷特別緑地自然地区 / 転入子育てファミリー応援サイト・ようコソ浜松


***


木下孝司さん撮影の新川、であい橋の下。
水は木立の向こうでぐるりと蛇行し、
佐鳴湖に流れ込みます。

『夏休みの佐鳴湖』佐鳴湖百景 


いつもきれいな水が流れ、魚や鳥の姿が見える新川。
であい橋をあるく人はたいてい足をとめて、
ひととき水の流れや魚たち、鳥たちに見入っていきます。
夏の夕方、散歩の途中、
ここで脚を冷やすのを楽しみにしているワンコたちも。


この水たちを産んでくれている椎ノ木谷を、
ゆっくり歩きたいと思っています。


佐鳴湖に流れ込む他の川、
段子川や御前谷水路の水源にも興味がでてきますね。




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佐鳴湖クリーン作戦

カテゴリー │空・鳥・水 

いつもに増して素晴らしかった、
土曜日の佐鳴湖花火大会の翌日は
毎年恒例・佐鳴湖クリーン作戦。


西岸のひょうたん池のまわりを担当するみなさんの中に入れていただきました。


北岸公園からひょうたん池まで歩いていく途中、
地元・冨塚北、冨塚西自治会のみなさんが
がっちりと集合されている様子に出会ったり、
すでに散歩がてら拾われたらしく、
かなりごみの入った袋を下げて歩いて来られる方も何人か。。


ひょうたん池には、大人や小学生など、すでに多くの方が集まり、
ごみ拾いや、遊歩道のまわりの草取りを始められていました。


まだ朝露の残る草を、
公園緑地協会の方々はサクサクと手刈りしていかれました。



休憩のとき見ると、刈ったあとがハート型に。偶然


この、花火大会翌日のクリーン作戦は、
佐鳴湖をぐるりと囲む
冨塚・佐鳴台・入野・志都呂・大平台の各自治会のみなさん、
ボランティアグループや
地元中学・高校の先生方や生徒さん、
企業・信用金庫有志のみなさん、
漁協・貸船組合のみなさん(舟で湖面から)、
行政の現場担当のみなさんが毎年参加されています。




手前の女の子たちも、ごっそりと草取りしてくれていました


恥ずかしながら、私は初参加。
今まで、家族は参加してくれていたのですが。


多くの方々が、あたりまえのこととして
気負うでもなく作業を続けられる姿に、
静かに感動しました。





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7/24 中日新聞の記事

カテゴリー │【新聞記事】

遅ればせながら、7/24水曜日の中日新聞の記事をご紹介します。





前回のゴイサギ、餌をキャッチ&ぱくりの瞬間。







暑い日が続いていますが、毎日風は吹いているので、
そこは助かりますね。
どうぞご自愛ください。



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南西岸・漕艇場エリアへ許可が

カテゴリー │【新聞記事】

7月23日の浜松市建築審査会で、
静岡大学漕艇部の艇庫移転地が正式に決定しました。
南西部の漕艇場エリア、現在の浜松北高艇庫の東側とのことです。


早速、7月24日付で、
静岡新聞と中日新聞に掲載されました。


静岡新聞の記事をご紹介します。



中日新聞の記事は、改めてご紹介させていただきます。





これは、先日20日に西岸にいた、ゴイサギの幼鳥。
岸辺から4メートルほどのところで、
ずーーっと餌をねらっていました。
よくぞあれだけの集中が続くものです。。





生まれてから3年は茶色いのですが、
成鳥になると羽の色が変わり、こんないでたちになるそうです。
大変身。

この写真はこちらからお借りしました



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新候補地の写真

カテゴリー │3/5 県からの公表

今朝更新しました、
3/12の中日新聞記事に引き続き、ご報告いたします。

先日、静岡県浜松土木事務所より
富塚町連合自治会に届けられた回覧用チラシに、
新たな艇庫移転先候補地と、
合宿所移転先候補エリアが記された航空写真がありましたので
ご報告いたします。




この、新たな艇庫の移転先候補地は、県の土地なのだそうです。
それが、浜松市により、公園法で管理されていたとのことです。





それにしても、とても迅速に、
皆が納得できる艇庫候補地を示してくださいました。。
県と市の、短期間での協議努力に、
感謝したいと思います。


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今回のカワセミの写真は、佐鳴湖さまが昨年8/1に撮影されたもの。
もう自分で魚を捕れる子どもカワセミに、父カワセミが給餌している様子です。

このカワセミたちが寛いでいた、
新川の「であい橋」の周辺の自然は、残念ながら、様変わりしてしまいました。。
佐鳴湖さまが、ブログに「案内」として、定期的にUPされています。
残された僅かな自然は、しっかりと守っていきたいですね。




 

3/12 中日新聞

カテゴリー │【新聞記事】

3/12の中日新聞・朝刊29面に掲載されました。




静岡大学と県の動向を伝えて下さったのはありがたいですが、

◎専門家からのみならず、
住民からも、自然環境への憂慮や反対などの強い意見が出ていたこと

◎2/23に、住民説明会が行われたこと

についても、短くとも記載して頂きたく願います。



本日正午に、次の記事を更新いたします。


引き続き、ご注視を!!
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市民・県民のみならず、全国からの関心の高さを、
静岡大学、静岡県・浜松市の行政のみなさまへ伝えるメッセージです。


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